自民党のメディア支配は、1960年代に完成していた
安倍政権はメディアを強権的に支配している!マスコミは圧力をはね返してきちんと報道してくれ!
と、思ってますか? 皆さん?
でも、自民党によるメディア統制は実はずっと昔の、安倍晋三が「プリンくれ」と言っていた1960年代の佐藤栄作政権の時にもう完成してたんですよ。
そのことを示す論文がこれ。
1960年代という「偏向報道」攻撃の時代 ─「マスコミ月評」に見る言論圧力 ─
根津 朝彦
(上)
http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=37123
(下)
http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=387206
これを読むと、自民党が60年安保闘争から教訓を得て、計画的組織的にメディアを手懐け、そして今があることが解る。
「メディアは権力に擦り寄る」と言うのは間違いだから。正しくは「メディアは自民党と一体化している」。だから民主党政権に対しては、メディアは狂ったように攻撃したのだ。
論文の(上)では、いわゆる「革新側」メディアの特に「朝日新聞・TBS・共同通信」に対して、政財界が「偏向報道」「偏向ご三家」とのレッテルを執拗に貼って攻撃する様が論じられる。
60年安保闘争を期に新聞は自主規制(7社共同宣言)を始める。その結果、米国の公民権デモは大々的に報道するのに、日本国内の米原潜寄港反対デモは報じないという現象が生じる。
60年安保でいったん死んだ新聞各社は、ベトナム戦争報道で息を吹き返す。それに米国は神経を尖らし、朝日・毎日を名指しで「偏向」と批判する。ここから米国と政財界によるマスコミ攻撃は組織的になっていく。
そしてライシャワー発言へとつながる。毎日新聞でベトナム報道をリードしていた名物記者が退社に追い込まれる。
1966年の自民党「黒い霧事件」では各社の社会部が意欲的な報道をしたが、政治部は汚職摘発に消極的で対立があった。自民党は社会部を「社会部紅衛兵」などと呼んだ。そしてメディア懐柔にはやっぱり赤坂。
なかでもTBSへの締め付けをじわじわと強めていく……
TBSはキャスター降板・番組終了・テレビ報道部解体を余儀なくされ、「報道のTBS」は瓦解する。残ったのは細川・小汀の「時事放談」だけになるという有様。
TBS以外のTV局も標的になる。
共同通信には「偏向報道」を修正するために自民党筋から福島慎太郎が新社長として送り込まれる。それ以降も共同は粘るが政治報道は萎縮していく。
そして組織への圧力と、自民党政権にべったりの政治部の姿。
論文に挙げられた攻撃の手法 (「偏向」のレッテル貼り、キャスター降板や番組終了への誘導、メディア各社の組織や人事への圧力)はどれも、大叔父様が構築した仕組みを現政権がそのまま使っている。現政権が強権的に見えるのは、使い方に知恵がなくて乱暴だから。
「偏向ご三家」のうち朝日は、内部のごたごたがあっても経営体力があったので、政財界の標的は朝日に絞られていくが、朝日だって早くから自民党政権に擦り寄る姿勢を見せている。
それでも財界は、朝日新聞社に嫌がらせをする。その効果は他社にも波及し、萎縮をもたらす。
当時のキヤノン社長は創業者でもある初代の御手洗毅氏。
経団連の元会長・現名誉会長の御手洗冨士夫氏は第6・第8代社長で、毅氏の甥。
論文(下)では「保守側」メディアを論じている。
- 共同通信社へのカウンターとして最初から明確に自民党政権べったりだった時事通信社
- 財界の後ろ盾で順調に成長するフジ・サンケイグループ
- マスコミ経営陣と政財界要人との接近(懇談会、懇話会)
- 総理府広報室が主導した日本広報センターの発足
「保守側」メディアは政財界とともにネットワークを形成し、政府広報を行う日本広報センターが成立する。政府広報の先頭を走ったのは読売新聞。そして「政府に近い」東京新聞が後に続く。
この論文(上)(下)を読むと、日本の大手マスコミ・メディアが55年体制下の自民党政権と早くも60年代から一体化していたことが解る。だから各社の経営陣に一般からの批判が届くわけがない。だって自分の数代前の社長の時から、経営陣の仕事は政財界との懇話だったのだから。
大手マスコミ・メディアの経営陣と政治部はとうの昔から自民党と一体化していた。現政権に批判的な報道をする部署・人は組織の中で今にも消えそうな残り火でしかないと思うべきだろう。